23歳で日本共産党に入党 享年24歳
伊藤千代子は1905年誕生。長野県の現在諏訪市の農家に生まれました。2歳で母と死別、9歳で亡母の実家・岩波家に移り養育されました。諏訪高等女学校(現・長野県諏訪二葉高等学校)に進学、同校教諭(のち校長)で歌人の土屋文明から英語・国語・修身の授業を受けました。同校卒業後は諏訪郡の高島尋常高等小学校の代用教員に,1924年(大正13年)私立尚絅女学校(宮城県仙台市、現・尚絅学院女子高等学校)高等科英文予科を経て、翌年には東京女子大学英語専攻部2年に編入。同大学社会科学研究会で活躍しました。
働く女性の支援に
1927年(昭和2年)8月30日、長野県岡谷で起こった製糸業最大の争議「山一林組争議」(女工ら労働者による30日ストライキ)の労働者支援を行いました。同年秋、労働農民党の浅野晃と結婚。翌1928年(昭和3年)、初の普通選挙を戦う労働農民党の藤森成吉候補らの支援活動を行いました。1928年2月日、23歳で日本共産党に入党。党中央事務局で文書連絡や印刷物の整理などの活動を始めて半月後、三・一五事件の弾圧により検挙され警視庁滝野川署から市ヶ谷刑務所に収監、拷問により転向を強要されるが拒否し続けました。ところが拘禁精神病を発病し、松沢病院に収容され、急性肺炎により病死。享年24歳。郷里の龍運寺墓地に葬られています。
天皇を頂点にした帝国主義の日本において、国民は「天皇の臣民」とされ、個人の自由や権利は厳しく制限されていました。貧困や格差をなくして男女平等への思想を高めました。1925年、「治安維持法」が公布され、思想言論弾圧が激化しました。世に言う「三・一五事件」が勃発。千代子は検挙され激しい拷問を受けるが、獄中においても侵略戦争に反対し、主権在民、ジェンダー平等を訴え続けました。ロシアのウクライナ侵略戦争を通じて、自由と民主主義、平和が目の前でおびやかされている今、私たちが何をすべきか考えさせられる、伊藤千代子の生き方です。
漫画本や映画を
刈谷市では、5月1日?午後2時から上映会が開かれます。刈谷市総合文化センターの小ホールです。大人999円です。名鉄刈谷市駅前の、刈谷日劇でも5月中旬以降に上映が予定されています。またワタナベコウさんの漫画「伊藤千代子の青春」も1,300円税抜きで好評発売中です。
ご注文は、もよりの日本共産党員に声をかけてください。