市は今年と来年の2年で交通弱者の対策を計画にまとめます。4月18日に第一回が開催。
18名の委員のうち6名が欠席。欠席者2人を副会長と監事にしました。代理出席3名です。今年は4回開催します。6月にはコンサルを選定。市民や利用者の声を生かし実効性あるものにしていただきたいものです。
委員
①副市長 金沢宏治(会長)②四日市大学学長 岩崎恭典(副会長)欠席③市身体障がい者福祉協会会長 鈴木たか子(監事)欠席④名古屋鉄道㈱花村元気⑤愛知タクシー協会刈谷碧南支部長 潮田憲 欠席⑥(公社)愛知県バス協会専務理事 小林裕之⑦レスクル美浜営業所課長(くるくるバス)天野啓一⑧名鉄バス㈱運行部運行課長(ふれんどバス)大野淳 欠席⑨愛知県交通運輸産業労働組合協議会幹事 壁谷政志⑩市民生児童委員代表 小田直樹⑪市老人クラブ会長 三島博⑫市商工会副回答長田和徳⑬中部運輸局 山内三奈⑭警察署大脇猛欠席⑮県知立維持課長林孝臣⑯県交通対策課長大林益英欠席⑰市建設部長中村正典⑱市民公募 鳥居多寿子 (敬称略)
映画「青春つきるとも」を見て
伊藤千代子は1905年(明治38)7月21日、諏訪の南真志野の農家に生まれ幼くして母と死別、祖父母の援助で諏訪高等女学校(現・諏訪二葉高校)に学び、高島小学校の代用教員の後、仙台尚絅女学校から東京女子大へと進みました。千代子は常に生活に苦しむ人々に心をよせ、世の中の矛盾と不公平さを許せず、学内で「資本論」を学ぶなど、社会科学研究会で中心的に活動ししました。郷里では初の普通選挙をたたかう革新候補の藤森成吉を支援、岡谷での歴史的大争議であった山一林組の製糸工女らを激励し、社会変革の道に進みました。
1923年(昭和3)2月、千代子は日本共産党に入党。3月15日の治安維持法による野蛮な弾圧で逮捕、市ヶ谷刑務所に投獄される。千代子は獄中での狂暴な拷問や虐待にも屈せず、同志を励ましたたかい続けたが、ついに倒れ1929年9月24日、24歳の若さで短い生涯を閉じました。
千代子のこころざしは今も多くの人々に受け継がれ、生きています。(顕彰碑文参照)諏訪ICから中央道沿いにある伊藤千代子の慰霊碑とお墓を訪れました。碑には「まをとめのただ素直にて行きにしを/囚えられ獄に死にき五年がほどに/こころざしつつたふれし少女よ新しき光の中におきて思はむ/高き世をただめざすをとめらここに見れば伊藤千代子がことぞかなしき(1935年恩師の歌人土屋文明が詠んだ歌より)」と刻まれていました。主権在民、男女平等、自由と民主主義をめざし命がけで戦った伊藤千代子さんたちのおかげで、私も、碧南市の市会議員として直接政治に住民の声を届けることができます。政治に女性が参加するのが当たり前の社会へ前進しました。一歩一歩が未来を切り開く力になります。映画は5月1日刈谷市で200名満員。大切な1票で、平和と自由を守り社会を前に向けていかなければと参院選への決意を胸に。 《山口はるみ記》